フューチャーラボラトリ解剖学 第8回社会を変えるまなざしの力

フューチャーラボラトリに対しアドバイスをくださっている外部の有識者の方々に、 ” フューチャーラボラトリとはなにか?”そして、”橋本昌隆がこれから成すべき事はなにか?” をお聞きするのがこの「フューチャーラボラトリ解剖学」。

第8回は、アーティストのハナムラチカヒロ氏と、ブランディング 飯島ツトム氏にご登場いただきました。

インタビューはフューチャーラボラトリにインターンとして在籍する京都大学 渡部友紀です。

Guest

CO-WORKS代表
コンセプター/環境プランナー

飯島ツトム

大阪府立大学 21 世紀科学研究機構
観光産業戦略研究所准教授

ハナムラチカヒロ

Interviewer

京都大学総合人間学部

渡部友紀

会場

ハナムラチカヒロ氏のアトリエ「♭」

出会い

京都大学 総合人間学部
渡部友紀

―――フューチャーラボラトリでインターンを2年ほどさせていただいていますが、テクノロジー中心の会社と思っていたところに、ブランディングや、アートを手がけられているご両名と橋本さんが仲良くされているのは、最初大変不思議だったのですが、出会いのきっかけは何でしたでしょうか?

ハナムラ:このフューチャーラボラトリ解剖学の第3回でインタビューされている、保育園ベンチャーのチャイルドハート 木田社長がきっかけです。

「こうべイクメン大賞」という男性の育児参加を応援する取り組みでプロデューサーをしているのですが、木田社長とそこで出会って、木田社長曰く「ハナムラさんをすぐに橋本さんに紹介しなければ・・・」と思ったそうです。

株式会社フューチャーラボラトリ
代表取締役社長
橋本 昌隆

橋本:まさに女性の直感、感性のなせる技ですね(笑)

 ハナムラさんとの最初の出会いで一番印象に残っているのは「ひと・こと・もの・かね」のお話です。「ひと・もの・かね」というのが従来の枠組みだが、本来は「ひと・こと・もの・かね」である、とおっしゃっていました。これがフューチャーラボラトリの考え方と非常に重なったんです。

 幅広いネットワークの中でいろんな「ひと」が集まって、「こと」が起こり、「もの」ができてやっと「おかね」。これはフューチャーラボラトリを端的に表しています。テクノロジーの発展とその意味付けとがあいまって、「技術が悟る」つまりイノベーションが起こる。直感的にハナムラさんと組んだら「すごいこと」が起こると思いました。

―――飯島さんとはどんなきっかけですか?

橋本:仲良くしているベンチャーの社長がいらっしゃいまして、飯島さんは、当時その会社のブランディングをされていて、それが最初です。

 2回目にあった時に、その場に新しい人がいらっしゃったのですが、なぜか飯島さんが私の紹介をしてくださって「橋本さんはすごい人なので、是非仲良くなってください。」と言われて、まだ飯島さんとも2回目なのに、そんなに高評価を頂いていることにびっくりしました(笑)

飯島:本質に対する忠誠ということにフォーカスできるかどうかですね。現代では、お金に対しての忠誠だったり、会社に対しての忠誠だったり、親に対しての忠誠をだったり、と本来のあり方が捻じ曲がって居るんだろうなと思っていました。

 お金でも親でも会社でも社長でも物でもなく、、、ということを「本質へ忠誠を誓う」という言葉に集約しています。すべての営みの中でとても大切なことだと考えています。それが、橋本さんの中で芽生えそうだったのです。

橋本:飯島さんの「本質に忠誠を誓う」という言葉は、本当に衝撃的でした。本質というものに対して仕事をしていきたい、と強く思いはじめ、この1年でいろんな事が変化しました。

本質への忠誠

飯島:橋本さんが始められた料理に関しても、グルメの話ではなく、生命の営みとして、素材や天の恵みを、どのように料理をして相手に提供するか、と考えれば本質への忠誠の話につながりますね。

 今の世の中は「何かおかしいんじゃないか」「このままだとまずいんじゃないか」と皆が感じられるところまで来ているんです。ですが、「我々は今、何をすべきか」ということに関しては今の社会が複雑になりすぎていて、見えなくなってしまっている。

今までの教育とか社会の決まりごとが、私たちに「本質」を見えなくさせているのではないか?

 だから、一度、固定概念をフラット化し、組み立てをし直し、共有されることによって、何かちがったものが見えてくるかもしれない。「本質」を見出すには、どこかのタイミングでデコンストラクション(脱構築)をする必要があると思うのです。

CO-WORKS代表
飯島ツトム氏

 今このハナムラさんのアトリエはまさに「脱構築」を体現できる場がデザインされています。そういった装置をハナムラさんは個人で立ち上げているといった点で、今回のイノベーションのカタチを探る話にふさわしいと思います。

―――では、どのように「脱構築」をしていくか、ということについてハナムラさんにお話を伺いたいと思います。

脱構築

ハナムラ:なるほど。大きなテーマですね。

 20世紀を貫いた脱構築という思想を語ることは僕には荷が重すぎると思うのですが、先ほどの話を受けると、あるコミュニティの中で共有されているものの見方を相対化してきたのは、古来より旅人などの、外なる人であったと思うんです。あるいは王様の横にいる道化や村はずれに住む賢者もそういう役割を担っていたのとだと思います。

 王様は、本来は世をきちっと治めて、民が幸せに生きているかどうか見ていないといけないんですが、権力を手にする内に皆の幸せを考えなくてはいけないという役割を忘れて、我欲に走るような精神性に陥ってしまうことがあります。

 だから時々、そういう権力や世の構造を相対化し指摘していく役割が必要なわけですが、期せずして先ほど挙げたような外なる人々がその役割を担っていたのではないかと思います。そして現代におけるアーティストが果たす役割の一つにそういうものがあるのではないかと考えています。

つまり、世の中をある意味で外側から眺めて、物を言う役割をもつ人間が必要なわけです。

大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所・准教授
アーティスト/ランドスケープデザイナー/クリエイティブシェア提唱者/役者
ハナムラチカヒロ氏

 今価値だと信じられているものを一度疑い、時には壊してみせたり、価値が無いと思われているものを再度読み直して、新しい価値を再構築する役割が必要で、僕自身もそれを果たして行きたいと考えているのですが、ひょっとするとそれが「脱構築」的なものの考え方なのかもしれません。

僕はそれを「風景異化」という考え方で自分の表現活動や研究活動を通じて取り組んでいます。

ハナムラ:「風景異化」を簡単に説明すると、皆さんもおそらく経験されたことがあると思うのですが、目の前に見えている風景があるきっかけによって違った風景に見える時というのがあります。それを意図的にしかけていくのが僕の取り組んでいる「風景異化」という概念です。

 つまり、目の前に見えている風景というのは、ひとつの物事の捉えかたにすぎないわけで、見方を変えればその捉え方には色んなバリエーションがある。つまりたくさんの風景の見方があるということです。その中から次に僕たちが共有し、信じていける価値を見つけて行くというのが「風景異化」が果たすべき役割かなと考えています。それはアーティストがしていることの一部なのではないかということで最近ではアーティスト活動もしています。

 我々が現実だと認識していることは、実は我々が所属する社会によって構成されているという立場を取る「社会構成主義」という考え方があります。

 例えば我々が信じている科学による世界の認識。これも社会的に構成されたもので、例えば当たり前に共有して信じている「空気は酸素と窒素から成り立っている」なんていうことも、実はある社会において共有されている約束事やルールに過ぎない。これが全然ちがう社会体系や価値観の体系では例えば「気の流れ」というような別の認識のされ方があるわけです。

 どちらが正しいかではなく、どういうルールや知識や認識が共有されたコミュニティの中に居るのかということで現実の意味が異なるように、実は風景も社会的に構成されているというのが僕の考えです。それを時々撹乱させるのが僕のような役目なのだと考えています。

 先ほどおっしゃっていた「技術が悟る」という話とひっかけますと、技術だけが走っていっても、そのことにどういう意味付けがなされるのかということがなければ、それは社会や我々の幸せに結びついていかないのだと思います。

 その観点では僕がしていることは 「意味を与えなおす」ということかもしれません。

―――意味を与えるといえば、私は映像でしか見ていないのですが、大阪市立病院でのインスタレーション「霧はれて光きたる春 Shining Spring after Clearing Fog」は、本当に素晴らしいですね。

「霧はれて光きたる春 Shining Spring after Clearing Fog」(会場:大阪市立大学医学部 附属病院)2012.03

ハナムラ:病院という場所の意味を再度問い直したかったのがこの作品の狙いです。病院というのは生死に関わる最も厳しい公共空間で、ましてや芸術のようなことは一番必要ないと考えられがちな場所です。

 しかし、身体に問題を抱えて病院にやってくる人というのは、当然通常の状態よりも心にも問題を抱えやすいはずで、そういう局面において芸術が果たせる役割があるのではないかと考えています。むしろある意味では美術館以上に芸術という心を巡った様々な表現が必要なのではないかと思うこともあります。

 この作品は入院病棟の吹き抜け空間に圧倒的なボリュームの霧とシャボン玉を発生させて風景異化をはかったのですが、僕がこの作品で本当に考えたかったのは、ある奇跡的な風景に向き合うことで医師や看護師や患者や職員という分けられた役割が解体されていかないだろうかということです。

 こうした院内の役割は治療という目的に向かってもちろん必要なことですが、しかしそうした役割の認識があるために個人対個人という心のコミュニケーションが難しくなっていることもあるのではないかと考えています。そうした無意識に出来ている認識に対して合理的な方法で迫ることは難しく、芸術や非日常な風景というものが、非合理な方法で時にそれを可能にすることがあります。

 職業や立場や年齢や性別等の違いを越えて全員が一同に介して不思議な風景を共有することで、院内の人々の関係をフラットにし、病院でのコミュニケーションや意味を組み替えて行くという問いがそこに持たせられれば良いのではないかと考えています。

 こうした芸術行為が今はまだまだ院内に必要だという認識はありませんが、活動を続けていき多くの人が理解していく中で、将来的にこれが医療環境の向上につながり、「医療」の一環として捉えられるような認識になれば、そこでの旅人の役割は終了です。

会社を作ったきっかけ

―――これも前から伺いたかったのですが、橋本さんが会社を始められたきっかけっていうのは何だったんですか?

橋本:一番強かったのは「日本への危機感」ですね。次の世代のことを考えると、何かしないとまずいという思いがずっとあったんです。

―――「危機感」というのは具体的に何に対して、どんな危機感があるのかを共有していきたいのですが・・・

橋本:会社を創った頃はただ漠然とした「日本ってまずいよね」というだけのものだったのですが。最近見えてきたのは、「日本の文化の破壊」を止めなくては、ということです。礼儀作法とか挨拶など、非常にベーシックなところから、武士道や大和撫子と表現されていたような精神性、そのあたりをきっちりと戻す。そこが壊れていることによって国全体が混沌としている気がしています。

 それに加えて、みんな、「自分一人で何ができるんだ?」というところで止まってしまっている。もしくは自分の利害のことだけを考えていて、日本のために何かアクションを起こすということをしていない人だらけの世の中になっていると思ったんです。

 最初の一人は非力でもその数が増えてくると、どこかの段階でポンっと切り替わるのではないか。そういう思いでこのフューチャーラボラトリでの仕事に取り組んでいます。

「何かやらないと」と考えながらも、今まで行動できていない人、会社に対して後押しし、空気や文化を変え、それをきっかけにしてどんどん日本を動かしていくことができたら、と思っています。

よく生きるためのデザインへ。「CREATIVE SHARE」

―――確かに今の世の中には私も「危機感」や「規範の崩壊」を感じます。お二人ともアートとデザインに関わっていらっしゃるので、そのことにどう「アート」と「デザイン」が関係しているかお伺いしたいのですが。

ハナムラ:「武士道」や「大和撫子」という言葉で良いのかどうかは分かりませんが、ある時代、ある地域の人々の間で信じられ共有されていた価値観があったのだと思います。

 その信じられてきたものが、近代化という短時間の中で一度解体され、別のものにすり替わっていったのではないかと思います。

 特に僕ら以降の世代に顕著ですが、何を信じていいのかがわからないような感覚があるのですね。自分が信じるに足るものが見えない世の中になっている。だからこそ、今もう一度その信じるに足るものを見つけ出す、という行為が必要な気がしています。その中の一つとして先ほど言われていた「本質に忠誠を誓う」ということもそうではないかと。

 僕なりに解釈すると、「人が見ているから何かいいことをする」とかではなく、「己の中に美醜や善悪の基準を復活させる」っていうのが本質に迫る上で大事ですよね。本当の意味で「良く生きる、かっこよく生きる」ということを取り戻さないといけないし、生きる規範、行動する時の規範、信じるに足る規範を己の中に復活させることが非常に重要な課題だと思っています。

 それと自分のしているデザインをどう結びつけるのかということはとても難しく、今でもずっと悩み続けていることではあります。

 そのことへの一つの取り組みですが、僕は自分が取り組んできた「風景異化」の日常への延長として、最近は「CREATIVE SHARE」というテーマでそうした問題に対して答えとなる補助線を与える事が出来ないかと考えて、このアトリエを中心に学生や様々な人を集めて活動をしています。

ハナムラ:その背景としては、数年前からシェアという考え方がインターネットを中心にして世界全体に現れ始めています。それまでは大量生産大量消費という、全員が全員モノを持たないといけないと思わされていたんです。大量に買っては大量に捨て、限りある資源がどんどんゴミへ変わって行く現状がある。それを一体いつまで続けて我々は生きていくのかという疑問があります。

 そしてデザイナーはそうした大量生産と大量廃棄を促すような欲望の捏造に加担している部分があるんですね。まだ使えるはずのものでもモデルチェンジすることで次を買わせる。そのような欲望をあおる装置としてデザインが行なわれていて、それに警鐘をならさねばならないと思うんです。

 「CEATIVE SHARE」というのは僕が提唱する概念で、「個人の持つ様々な資源を場に持ち寄り共有と対話を通じて新しい価値を生み出すライフスタイル」と定義しています。

 これはyoutubeやWikipediaなんかのようなインターネットのオープンリソースから始まっていると思うのですが、一人では生み出せないような創造的な場がそこに生まれる。ある場に対してみなで何か提供できるものを持ち寄り「GIVE」する中で、自分が「TAKE」できるものを持って帰る、あるいはみんなで「TAKE」出来るものを生み出していくという考え方です。そのたくさんのGIVEを「SHARE」できる世の中を目指すべきなんです。

 誰かが損をするから自分が得するという社会ではなく、自分と相手とが共に得をする社会を模索するべきですし、そうした対話を重ねるべきだと思っています。願わくば、すべての企業がそういう考え方を持ってくれればいいというのが僕の希望です。そしてそれに向けて自分のアトリエでの取り組みを行っているつもりです。

―――素晴らしいです。

飯島:ハナムラさんのお話を受けて、デザインをテーマにお話します。

 実は私は、デザインの前に航空力学をやっていました。失速をしない飛行機、墜落しない飛行機を研究していたのですが、飛行機のデザインをするとき、自然に学ぶ、鳥類や魚類に学ぶというところが大きかったんです。

 自然界、自然のものの仕組み、特に空気の形を見る、実は空気が形を決めているんだ、ということに気付きました。なぜ気がついたのか。普通は皆、模型を風の中に入れて実験してみるのですが、私は自分自身が風の中に入ってみたんです。

 そうすると、風が自分に当たるのを感じる。その時に理解できました。空気が形を決めているんだと。空気の流れを理解することで、自然と理想とする機体の形態は決まってくる。

人はものを、最初から手で作ろうとするんですが、ほとんどのものは、空気や水に代表される流体と自分との対話の中でうまれてくる。

 先ほどの「本質への忠誓、追求」というのはみんなの足元、身近にあるのです。思い込みというたがを外せば、人間は本質に辿り着くことができるんです。こういう風に「本質」を顕わにして、言語表現を精緻化してデザインしていくことが重要なんですね。

飯島:そこから見いだしたのが「デザインしないデザイン」というものがあるということ。

 これはハナムラさんのおっしゃているように、今は、しなくてもいいデザインばかりをしているから、どうしようもないガラクタばかりを生み出すことに、デザイナーが加担しているということになっているんです。建築家も同様ですね。プロダクトをする人間がそこを考えないと、ガラクタが山のように積みあがっていく。

ブランディング

飯島:ここでデザインからブランディングへ話を移していきたいと思います。「デザインしないデザイン」と言い始めると、デザインの仕事はなくなってしまします。生産性というところにお金が発生しなくなってしまう。そこで「これを作るのやめよう」ということに、予算を割いてもらうにはどうしたらいいのか、と考えたんですね。例えば、お医者さんの場合でいうと、余計な薬を処方するのをやめようっていうと、経営を維持するのが難しくなりますよね。それはデザイナーも同じような状況に置かれています。

 そこで私はデザインを武器に、どのように社会的課題を解決していくのか、どのように社会変革を進めていくのかを考えました。そうように活動を変えたわけです。それがブランディングということに繋がっていったということになります。

 普通はデザイナーといえば造形と思われますが……まあ、僕も造形はするんですが、それは必要に応じた二次的なアクションとしてです。

 むしろ、デザインを武器に、みんなが何かに気づく、何かを行動を始める、正い行いをする、そういう見えないものを手がける。それがブランディングの基本的な考え方です。ですから、モノだけに帰属しているうちは、モノを否定しまうと経済に乗らなくなる。どういう風に人の行動や状況を作り出すか、ということになると、経済として成り立つ可能性が生まれてきます。

 環境コミュ二ケーションという概念をつくった時もそうです。始めは環境問題と言われていて、プロブレムシンキング、つまり問題の指摘でとまってしまっていたんですね。問題指摘にとどまらず、きちんと動機づけして、行動に移すまでして初めて経済になる。それが大きなポイントです。

 実際、環境問題といわれていた時点は、多くの学者の方々が、公害を見つけては被害状況を調べ、原因を追求してきたんですが、少しもソリューションが起こらなかったんです。

 ところが、とある社会学者がその土地のおばあさんたちと囲炉裏を囲んで話したときに、ぽつりともらした「私たちが本当に欲しいのは、訴訟でもなく、社会的な制裁でもなく、ただ青い空と、綺麗な空気、自分たちのすむ土地が静かで豊かであればいい」という言葉が解決の糸口になった。

 そのことが加害者と被害者の二項対立を超えて、共通認識や課題の共有につながった。つまり、本質への忠誠を欠いた、問題の追及や指摘だけではだめなんです。

―――私達の考え方を、問題意識から、もっと前向きな、ポジティブに変化させるということですが?

飯島:その通りです。ネガティブシンキングから、ポジティブシンキングにスイッチすることが重要で、外部からプロジェクトのサポートをすることは、橋本さんの重要なミッションのひとつだと、考えています。

―――なるほど。そこではコミュニケーションが非常に重要な気がします。

飯島:その通りです。デザインをしない、といった時にその考え方をきちんと伝える。「デザインをしない」と言い切ってしまったので、「どうしてデザインをしないのか」ということを伝えなければならなくなりました。

 それは一言で言うと「生き物のためにならない」というのが最終的な結論です。

 ロングセラーのデザイン、長らく使われているもののデザインの研究をした時に出会った言葉が「副作用のない、非副作用」。副作用をもたらしているのは、人間の思考だと気付きました。どこかで思考が副作用を生み出している。ということは思考をどういう風に変えればいいのか。

 デザインの役割の1つは、解釈を変えるためにあるものと考えています。普通、解釈を変えるのは言葉で説得すること、などになりがちですが、ある種の正しい解釈ができる行為を生み出すものは、「道具」なんですね。

 例えば、包丁にも「正しくモノを切る」ということが、ユーザーに分かるようにつくる、という本質にアプローチしているものがあるんですね。それは作り手が「正しくものを切る」ということをきちんと考えて包丁を作っているものです。

 それが「オリジン」または「マスターピース」と呼ばれるものです。まさしく、人間の行為と正しい道を導く人が作ったものですね。そういった道具にみちびかれて人間は正しい思考・解釈ができるようになる。伝統的な文化である、日本刀や舞・神楽の中にもそういったものがありますね。

 日本人はある時期この「オリジン」を確立してきたと思うんです。ただ、現代では皆記憶喪失になってしまっていると感じています。けれども、記憶のどこかに、かすかに覚えがあるから、そういうものに触れると、何か懐しい気持ちになるのだと思います。

 今こそ、そこに、マスターピースというものが生まれてくる源流に回帰する時がきているんだろうな、と思っています。その道のりは遠いかもしれないけれど、個人というレベルではなく集団でやらなければならない、そういう時期にきているのです。

ブランディングには「ing」がついています。

飯島:ブランディングには「ing」がついています。本質について考えたり、ものやそこに携わる人の存在意義を問い続ける、その、問い続ける、ということが「ing」なのです。問いつづける人を、どうやって生み出していくか、ということもブランディングの仕事だとい私は考えています。

 問い続ける人が増えると、社会や社内の空気が変わる、会社のサービスが変わる、といことに結びついていきますね。

 惰性で生きるのではなく、また、人に言われた通りに動くのではなく、一歩一歩自分で確認して生きる生き方ということです。そしてその時、自分と同じ道を歩んでいる人と出会い、ヒントを与えてもらったり、嬉しいという感情が生まれる。

 それから、アートという行為を経済の本流へ入れなければいけない。アートのなかにもいろいろあるが、マスターピースを作り出すには、自分をイノセントにし、自分というものの位置をどこにおくかということが非常に重要になってきます。それは社会的な地位やパワーではなく、自分がどこにいればいいのかということであり、それをナビゲートする人がなかなかいない。

 デザインとは思考の流れをつくりだすこと。デザインシンキング。「どうやって考えをつなげているか」ということ。

 新しくものを構築していくということを推進して行くには、先端的な検証や、すべての学問領域を駆使しないとそれはできない。デザインにおいてカテゴリは必要ないし、デザイン学校に行った人がデザインをする、という必要もない。

 想いを持った人がデザインをするべきです。そしてそういう人がデザインをした時にその人を支える体制を、みんなでどう作るかということが大切です。

 ココ・シャネルは、それまで重く動きづらかった女性の服装を動きやすく活動的なものに変えました。ものとして現れたのはシャネルスーツでありますが、彼女は「かっこいい女性の生き方」というスタイルをつくったのです。女性が凜として生きていく為のスタイルを作り出した。

 みんな、彼女をファッションのデザイナーといいますが私は、生き方をデザインし実践したのだと考えています。

―――かっこよく生きる、ということは先ほどハナムラさんもおっしゃっていましたね。

ハナムラ:現在のデザインの多くはカタチ、つまりは「答え」を持った状態から入っていることにあるのだと思います。しかし本当は「問い」から入るべきなんです。デザインは「カ」・「カタ」・「カタチ」と言われるように、まず本質的な部分への問いを発しながら「~化(カ)」するところから始めるべきだと思います。

 それが繰り返される内に体系だった「型(カタ)」ができ、最終的に「形(カタチ)」が出てくる。つまり問い続けた結果として形がでてくる。つまり、形というのは、本来は探していく行為なんです。

 だから結果としての形から入るのではなく、物事の本質を見つめていく中で、どういう形がふさわしいのか、必要なのか、合理的なのかという「問い」を発し続けた結果として形がでてくるべきなんだと思います。

 そしてそれがちゃんとできているモノは、そのデザイナーが問い続けた感覚や行為が追体験できるようになっているのだと思います。まさにそれこそが「マスターピース」ですね。しかしその形だけを真似したところで本質が問えていなければ、どこまでいってもマスターピースには近付けないんです。

 それはモノを通じてだけに限られたものではないと僕は考えていて、自分の表現では言葉や認識や風景ということを通じて本質に導くことができないかということに取り組んでいるつもりです。

―――なるほど。いずれにせよ、「本質」を問い続けることが必要ですね。

今の社会 お金、愛、GIVE

―――では、話を元に戻しまして。今の社会は「何かおかしい」ということでしたが、現社会をどう見ていらっしゃいますか?

ハナムラ:最近感じるのは我々全員が共有している「お金」つまり貨幣経済というものが一体何なのかということが課題だと思っています。

 サブプライム問題で露呈した金融資本市議経済の破綻がユーロの崩壊を始め様々な局面で見え始めている中、僕が指摘するまでもなく、経済そのものを問い直さねばならない時期に来ている事は間違いないでしょう。

 資源には限りがあることは分かっているはずなのに、ずっと成長し続けなくてはいけないという脅迫概念に追われ続けている我々の認識自体が変わっていかなくてはならないと思います。

 我々はお金を持っているから幸せになるわけではないのです。我々が本当に欲しいのはお金の先にあるものなんです。

 お金というのは価値と交換できるものであって、交換される側の価値とは一体何か。それを我々は考えて行く必要があります。「お金を貯める」ということ自体が目的化していて「お金を使って何をするのか」ということを考えない。

 「いい車に乗りたい」と言うが、「いい車に乗ることで何が得られるのか」ということを考えない。そしてそれが本当に自分を幸せに導くのかということを疑わないような認識を相対化するべきだと思います。

 我々が信じている幸せとは、実は誰かが決めて押し付けている価値観やライフスタイルかもしれないと疑ってみる事です。

ハナムラ:そのことに対して何ができるのかということを考え僕自身は「風景異化」や「クリエイティブシェア」のような活動をしているのですが、そうした認識を変革するために、モノの生産を入口にすることには少し疑問を持っています。

 モノが人を幸せにする時代は確かにあったし、今でも世界の中ではそういう状況があることも一つの事実でしょう。しかし今の日本において、モノをさらに持つことで幸せになるかといえばそうでもないのではないかと疑っています。

 もしそうであれば、これほど豊かにモノが溢れた社会において、自殺やストレスのような心の問題は出てこないはずなんです。モノがたくさんあって、あったかく過ごし、ご飯も食べている。それでも幸せだと感じられていない人がたくさんいるわけです。そう考えればモノが人を幸せにする時代はある意味でもう終わったと思うんです。

 では、何が人を幸せにするのか、ということをもっともっと考えなければなりません。それを考えるきっかけの一つとして芸術が果たせる役割があるのではないかと考えています。

 先ほどから出ている「本質に忠誠を誓う」の「本質」の行き着く所としては、最終的に「僕たちが幸せであること」だと思います。

 そのことに対して、デザインも、企業も、経済も携わるべきなんです。人の欲望を煽り、モノを売ってお金を儲けるということではなく、売ったモノがその人を幸せにする、その対価としてお金をいただく、それが本当の意味でのビジネスだと思っています。

 少しアプローチは違うのかもしれませんが、僕のやっている活動や表現も最終的には、人を幸せにするという本質に迫るための手法であって欲しいと考えています。

橋本:そうですね。モノを作ることではなく、そこにどう意味付けをしていくのか。マスターピースであることが重要です。

ハナムラ:僕はさらにそれをみんなが享受できるものにしたいと思う。僕が考えるイノベーションの定義とは「誰もが望んでいることを、だれも考え付かない方法で、誰でもが享受できるようにすること」だとしています。

 それは誰でもが出来る事ではないでしょうし、だからこそイノベーションやマスターピースというのは偉大なのだと思います。

飯島:そうですね。全ての人がマスターピースを持つ必要はありません。マスターピースを持つ人を通して、多くの人を照らすのです。モノ社会から心の社会に。

 自分の中にある深い愛のエネルギーを、道具や行為を通して人々に伝えることができるかどうか、そこが問われています。

―――愛のエネルギーですか。ハナムラさんはどう感じられていますか?

ハナムラ:僕自身も愛が根底に流れているテーマだということはずっと意識してきました。誰かが徹底的に愛し続けたことは、周りの人々に必ず伝わるんです。モノを作る時も同じなのだと思います。

ハナムラ:職人が徹底的に愛し、本質を追究したことが結集してモノとして表れた時、その愛は誰かに必ず伝わる。

 先ほども言いましたがモノを売るということも、「相手が喜んでくれるだろうな」という愛情を持って行うからこそ、お金という対価をもらえる。そういう愛をGIVEしあうことで成り立つ社会やビジネスというようにあるべきですね。

 誰もがそうしたGIVEの感覚を見失っていないだろうか、愛を失ったビジネスをし過ぎていないだろうかと、疑問を持っています。社会に自分が何をGIVEできるのかが無ければ、自分も社会から何かをGIVEしてもらう資格はないと思います。

―――なるほど。よくわかります。物質的な豊かさは満たされた現代において、心の豊かさを感じられずに空虚感を抱いている若者も多くいます。自分の中に幸せの基準を決め、豊かに生きていかなくてはいけないな、と感じました。ここにいらっしゃる方々のように、そういうことを考える企業や人が少しでも増え、世の中が少しずつ良い方向に向かっていくといいな、と思います。

NEXT STEP フューチャーラボラトリの再定義

―――最後に、皆様のこれから、を語っていただければとおもいます。

橋本:現在、飯島さんはじめみなさんのご協力の元、フューチャーラボラトリの再定義、ブランディングを行なっています。もう少したったら、ホームページ等、発表させて頂きますが、こんな感じです。

飯島:これからの時代の課題を担うために、プロジェクトのサポートそしてプロフェッショナルのサポートを、協力に推進していただきたいと思います。活動名は「PROSAPO」(プロサポ)です。このプロジェクトブランドを育てていってほしいと切に願っています。

ハナムラ:アイデアのある人間にちゃんと脚光が当たるようなビジネスを展開していって欲しいと考えています。前に出るのではなく、クリエイティビティのある人間を経済的に裏からプロデュースしサポートするのがビジネスマンの真の役割ではないかと期待しています。

―――本日は長時間にわたりまして、大変有意義なお時間をありがとうございました。これからも皆様のご活躍を期待しております。

一同:ありがとうございました。

プロフィール

ハナムラチカヒロ(HANAMURA Chikahiro)

ランドスケープアーティスト/コミュニケーションデザイナー/クリエイティブシェア提唱者/役者

大阪府立大学 21 世紀科学研究機構 観光産業戦略研究所・准教授

ブリコラージュ・ファウンデーション代表

 1976 年大阪生まれ。ソウル 生まれの母と京都生まれの父の間に生まれる。「まなざしのデザイン」をテーマに建築やオープンスペースなどの空間デザインや自然現象のデザイン、また人と人とのコミュニケーションデザインなどを通じて、風景の異化や、まなざしの変革を目指す。芸術表現による社会変革や地域変革を目指して、病院などのパブリックスペースでインスタレーションなども行う。  

  また「風景になる」という観点から、映画や演劇などにおいて俳優もつとめながら、街中で非日常風景を探る状況的パフォーマンスなども展開している。その領域横断的な表現活動の拠点として2008年から緑橋(大阪市東成区)にある古い活版印刷工場を自身のアトリエとし、創造性をいかに共有できるのかを表現者も含めた様々な主体とともに実践する「クリエイティブシェア」を実践している。

大阪大学工学研究科建築学科非常勤講師。大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員。船場アートカフェディレクター。

Blog:flw moon innerscape


飯島ツトム(Tsutomu Iijima)

CO-WORKS代表

コンセプター/環境プランナー

1950年生まれ。東京都立航空工業高等専門学校航空機体工学科卆。東京デザイナー学院工芸工業デザイン科卆。日本の伝統的地場産業の工芸シーズを現代的デザインで蘇らせる一方、家電、自動車、情報等様々な分野の企業の開発アドバイザーを務める。また、地域開発の基本構想策定に環境開発及びデザインやブランディングの側面から参画している。

著書・連載として、家庭画報(世界文化社)に「ユースウエアの時代」を連載(1990年)、「MACINTOSH  DESKTOP ARCHITECT GUID(マックで建築を考える)」(冬青社・1991年)を共著執筆。環太平洋生活文化フォーラム(1997年)、都市・情報化フォーラム(1999年~2000年)、ハノーバー国際万国博覧会(2001年)等、多数イベント・プロジェクトにてコンセプトワーク実績。環境goo審査員。(2001年~2008年)